“そんなようなことでいつしか、生者も死者もいっしょくたになったような感じだった。そのころは、死神がうろついているらしく、石につまずいても死につながることがあったし、風が吹いても死につながることもあった。”(『娘に語るお父さんの戦記:小さな天国の話』第2章「最前線」)
7月26日土曜日、多摩六都科学館へ。
6月の20日にtwitter(twitter)を見ていたら<第一報>とポスター画像、案内ページ のリンクだけの告知を見つけて、リンク先の多摩六都科学館のお知らせを熟読してしまった。
終戦80年 水木しげるの戦争体験「水木サンのみた暗闇 ―ぬりかべに遭った夜―」https://www.tamarokuto.or.jp/blog/press/2025/06/17/special_event202507/
1944年(昭和19年)の戦地ニューブリテン島での若き水木しげるの体験を、プラネタリウムの暗闇と6chサラウンド音響で体感する60分のオリジナル企画ということで、上映回数は7月の末に1回、8月に4回、ゲゲゲ忌前の11月後半に3回だけ。いずれも一日一回夕方から。(構成は演劇集団 円の牛尾茉由さん)
明日から販売開始ということだけど、すぐ埋まってしまうだろうな。いまは水木さんへの注目は高まっているから。仕事の予定もはっきりとはわからないので、評判を聞いてから秋に行こうかな……と考えていた。
けど翌日覗いてみたら、どの日程にもまだまだ空きがある! 仕事もなんとかなるだろう。もんどりをうちながら初日を予約。何しろ一上映230席くらいなのだ。少なくはないけど多くない。
オリジナル企画でどんな内容なのかまだわからないし、上映場所の科学館は花小金井駅からも田無駅からも歩くと20分はかかる。駅前からは小さいコミュニティバスが使えるけど、行きはよいよい上映終了後の時間には便がなくなってしまう。郊外なので、マイカー利用を想定した施設なのだ。晩秋はともかく、暑熱の夏に20分歩くというのはみんな少し躊躇するところで、即完売しなかった理由はそのあたりかもしれない。
多摩六都科学館というのは多摩六都-科学館と区切られて、94年の開館当時に多摩北部都市広域行政圏協議会を構成した小平・東村山・田無・保谷・清瀬・東久留米の六市のこと。合併があり小平・東村山・西東京・清瀬・東久留米の五市になった後も名称が残っている。
せっかくなので520円入館料を払って科学館も見学する。広島市民球場と同じ仙田満設計の特徴的な建築で、丸くなっている部分はもちろんプラネタリウム。多摩六都科学館のプラネタリウム「サイエンスエッグ」はドーム直径27.5メートルの傾斜型で、国内最大級で世界第5位らしい。隣接して電波塔のスカイタワー西東京、通称田無タワーがにょっきり建っているので、あいまってかなり科学っぽい雰囲気。
考えてみれば、行ったことのあるプラネタリウムって小学校の行事で行った新宿コズミックセンターだけかも。コズミックセンターは水平型直径14メートルで半分くらい。いつも目にしている新宿区の昼景と夜景を再現して見せてもらえるのがおもしろかった記憶があります。
館内は親子連れでにぎわっていました。公式アカウントではキャラクターのぺガロク(水色の宇宙ペガサス)が科学館の情報を教えてくれるので、ついついミュージアムショップでぺガロクグッズを見てしまったペガ。缶バッチのガチャを2回回してしまったペガ。
特別プログラムは通常開館が終わってから。この日来ていた人たちはやはり熱心な水木しげるファンの人が多そうでした。
プログラム内容は、水木さんの著作『娘に語るお父さんの戦記:小さな天国の話』『水木しげるのラバウル戦記』『コミック昭和史』等を再構成したもので、語りは声優の古川登志夫さん、プラネタリウムのドームスクリーンには水木さんの挿絵やスケッチが投影されるわけです。
描かれるのは境港の茂青年21歳に召集令状が届き、パラオを経由して現在のパプアニューギニアはニューブリテン島ラバウルに送られ、全滅した分隊でただ一人生還したにもかかわらず中隊長から投げられた「みんなが死んだんだから、お前も死ね」の言葉に愕然とするところまで。
それ以来、どうも、中隊長も軍隊も理解できなくなった。同時にはげしい怒りがこみ上げてくるのを、どうすることもできなかった。(『娘に語るお父さんの戦記:小さな天国の話』第3章「丘の上」)
水木さんのラバウル体験は もちろんこの後にも続き、前掲書の場合はこの後まだ半分強、4章分、現地民たちの暮らしへの興味を中心に終戦から戦後までのエピソードがある。 何より茂青年はマラリアの療養中に空爆を受けて左腕を負傷、切断するのであって、つまりこのプラネタリウムのプログラムはまだ水木しげるが「水木さん」でも、隻腕の漫画家でもなかった時を描いているのです。
考えてみれば前掲書にしろ、今回のプログラムの出典・引用文献となっている他の著作にしろ、復員後に紙芝居や貸本漫画のキャリアを経て売れっ子漫画家になった水木さんが、少年漫画の仕事が落ち着いて、その他の著述や妖怪画などに重点をおくようになってから書かれたものです。
しかしプログラム中の茂青年は自分が生き延びられるかわからない(生き延びようという天然の強い意志は抱いていても)。彼はこれから自分が片腕を失うことなど知らないし、それでも昭和を代表する、それどころか世界的に知られる漫画家になることも知らない。ジャングルの闇の中で、前も後ろもわからず、後に自分が「ぬりかべ」として絵に表現する何かに出会う体験は、93年間の人生の文脈に位置づけられるのではなくて、明日があるのか、それどころか一瞬後があるのかわからないのです。
暗闇の中で聴く古川登志夫さんの一人称視点の語りで茂青年と一体化して追体験しているように感じることで、改めてそのことに気づかされました。
虫の音と波の音とともに「風」の存在が印象的なプログラムでした。
終盤にニューブリテン島の星空がゆっくりと動いて「鳥取県西伯郡境町(現・境港市)」の星空になるところ(緯度は大きく違いますが経度はそれほど違わないことがわかります)で、個人的に鳥取県西部の星空には実体験があることもあり、とりわけ心に感じるところがありました。







