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2026年6月7日日曜日

十一月の水木しげるroadの夜

 


この土地では天狗の団扇がそよぐたび雨が降る

私は財布を持ち、傘を持たずに駅前の宿を出た

夜見という名の半島を盲腸線は霊峰から離れて辿る


その終端の駅前から

港町の港の

さらに陸地の尽きる方角へ

roadがのびている

港町の対岸は鬱蒼とした山である


十一月の始めの夜ははっきり冷たく

川に架かる橋に差し掛かるまでに

降り出しそうな雲模様は

霧のような雨となり

やがて誤魔化しようもなく夜の雨になった


Roadの両側には点々と青銅のstatueが連なっている

彼らは付喪神でありまたは神であり

または漫画の枠線のあるいはテレビの中の住人である

居るけれども見えぬものを

見えるようにするために

苦心して与えられたのがこれらのかたちである

これらの像は、その苦心と、かたちと、

かたちを与えられた見えぬものを顕彰するものである

彼らはいつの間にか増えているようだ


小さなものはあるいは小さいまま

また小さいものが大きくなり

大きなものが小さくなっている

大きくなっているのは少年の小さな下駄

一方で八つ頭の龍の髭は風に震えて折れんばかり


Roadの両側は商店街になっている

もともと生活の品を売る店が立ち並んで

近ごろは青銅の細工を見に来る人を相手にしたり

昼も夜も寝ている店もある

薬局

プラモ屋

レコード屋

煮干しと飴

ソフトクリーム

焼き芋

理髪店

et cetera


今はみなガラスの内は暗い

晩だから

通りは静まり返っている

いや

突如高まる噴水の水音

ショーウィンドーを妖しく照らす電飾

少し離れて後ろからぺたぺたと足音がする

あなたを驚かすこれらどれも

よう来てごしなったナという

歓迎のしるしなのである

なにしろここは観光地なのだ


ひんやりとした夜の石畳を音もなく

光の円が滑っていく

浮かび上がるのは妖怪たちと

チャンチャンコを着た少年のSilhouette

朝から働いて疲れた商店主たちが家に帰って

風呂に浸かっている時刻でも

夜歩きが寂しくないように


それでも心細い旅人のために

明かりを点けている店がある

店内にはラジオが流れ

星屑バンドのメンバーが話している

私はタオルを一本買い、宿へ戻った

ゴム草履の足音の主が

入れ替わりにぺたぺたと入店し

とりどりのキーホルダーを眺めていた


来た道を北東から南西へ

柳の木、酒蔵と古い旅館

今はまた雨はやんで

水道に停泊した船を撫でた同じ風が吹いていく

終列車から三本前の列車が時報のように

人間の光を煌々と引いて入ってきた









2025年4月14日月曜日

ゲゲゲ忌2024

 


(その)漫画家が生まれて一〇二年

死んでから九年が経った十一月の週末

おばけたちが描かれた幟がはためいている

今日は彼を顕彰する忌日である


彼は餓鬼大将であり天才絵画少年であり読書青年だった

戦場で命の代わりに左腕をなくしたが漫画家になった

もしも右腕だったらどうだっただろうか

彼は冒険家であり食いしん坊であり神秘家でもあった

また長寿であった

人々も彼が死ぬとは本気では思わなかった

長寿ではあったがずいぶん早くから老人らしくはあった

死ぬ時も老人らしい死に方をしたが

まだ九年しか経たないので

ほんとうに死んだのかは疑わしいかんじだ


誰よりもうまくおばけの話を語ったので

故郷の通りにはおばけのブロンズ像が立った

誰よりもうまくおばけの姿を描いたので

おばけたちはひとりでに動きだした

これらのおばけたちは日の光は恐れないが

朝でも眠るのは大好きで

いつも貧乏でそのくせ丈夫である

非情だが親切でもある

古いことをよく知っているがみぃはぁでもある

薄暗いがからりと乾いている


おばけたちは市民ホールの前で牛串の行列に並んでいる

カニ汁を啜っている

多摩川沿いの街の上には青空が広がっている

彼は大阪で生まれ山陰の港町で育ち

多摩川沿いの街で長く暮らして死んだ

おばけたちは彼の筆先から生まれて

おばけは死なない

おばけたちはどこへ行くのだろう

それともどこへも行かないのか



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11月30日のゲゲゲ忌は2016年から執り行われていますが、じつは私自身は昨年までそのことを知りませんでした。その前年に公開された映画のヒットで注目が集まった2024年に初めてゲゲゲ忌の調布に出掛けました。


>戦場で命の代わりに左腕をなくしたが

このあたりはどう表現するか迷いましたが、

思えば私たちが彼についてまず思い浮かべるのは漫画家や文筆家としての業績や人柄であって、二十代のはじめからずっと片腕であった事実はほとんど忘れているくらいなのは驚くべきことかもしれません。

映画の主役の一人の人物造形には原作者の要素も含まれていて、豪胆で現実主義者のイメージがある故人の精神に戦場体験が与えた無視できない影響について、あらためて考える契機になりました。普段は書いたり話したりすることの少ない体験もあったようです。


画家を夢見ていた山陰の港町の少年が、唯一無二の漫画家として多摩川沿いの街で生涯をとじるまでの九十数年の歳月の長さを思います。

2025年3月24日月曜日

神代植物公園大温室

 


大温室のドアが一つ開いている

ドアの外は三月の曇り

ドアからは三月の外気が吹き込んでいる

ドアの脇の鉢はサンセベリア・メイソニアナ

熱帯花木園の終わり


バス停があり塀があり門があり 

塀の中に森があり

森の中には道があり

道は大温室までくねっている


針葉樹園を抜け

雑木林に沿って歩き

かえで園うめ園

折り返してばらの園

長四角い池のむこうに大温室が建っている


極東の温帯の三月の半ば

私は黒いコートの前を開けて震えることはない

緑の葉は風に揺れているけれど

風の冷たさに震えているわけではないのかどうか

サンセベリア


本当は針葉樹園からすぐにここへ来ることができるのに

行きたいところまで行ってから戻って来る

眠っている薔薇を咲き誇る薔薇のように眺めてもよい

ドアの前は温かすぎない風で居心地がよい

湿度と温度の保たれた大温室に

ほどよい風を吹き入れるため開け放たれた三月のドア



2020年9月21日月曜日

夜道のももんがあ


気をつけよう暗い言葉と甘い道

 

駅から家に帰るまでのあいだにも、暗い道にはいろんなものが飛び出してくる

まず羽音がしてガレージの明かりに向かってなにかが突撃する、その道すじに私が立っている

あまり重い羽音ではない、光の中に浮かんだ形は丸く白かった

道脇に大きく広がっているアロエでは手を切る


ここらへんの道には、ももんがあが出るんですよ

ここらへんはね、よくももんがあが飛び出してきます

帽子をかぶり、網を持ち、夜の森の道を歩きながらその人が言っていた、テレビで

森の道だからここらへんの「道」とは違うけれど


ももんがあがよく出る道に、必ずももんがあが飛び出してくるとは限らない

飛び出してくるものがももんがあかどうか、目の前を横切る瞬間までは確かではない

「ももんがあだったな」と思っても、次に飛び出すものも同じようにももんがあかどうかは、わからない


何かが飛んでくる気配がする 

占星術とbobaティーについての詩

 あなたは蟹 硬い殻を有ってる


端末の中でホロスコープを回して友だちは教えてくれる

7月の真夜中近くに生まれて

優柔不断

打ち解けるのに時間がかかる

愛情深いが

温順しそうな外見の防衛的な中身

そうそう

ほんとにそう

彼女とは8年のつきあい

この8年の間に

街でお茶を飲んだのは友だちだけ

これからまた8年がたち10年がたって

8年が10回たって一生が終わるだろう

8年に1人と私は街でお茶を飲む

硬い殻の中においしいかにみそ――

いえ愛 まごころ?をかかえていても

味わわなければ なんになろう?

ぶくぶくとbobaティーを泡立てる

人は死して名を残す 蟹は死して殻を残す

殻からはキトサンがとれるだろう


私は蟹 硬い殻を有ってる

アロワナ・タイム(詩、Ghost In The Shellシリーズに)


背後に開いた窓の中の茜色の夕映えが

前のアロワナの水槽に映って桃色になる

桃金の雲と空の中に私の顔が浮かんでいる

さっきつけた電灯も一列になって映っている

この部屋で思い出でないものはどれとどれだろう


空と雲はまさに今窓の外を動いていく

そして私の顔はけさの鏡と同じに見える

アロワナは私の思い出ではなく

かれら自身の思い出でもない

かれらを撮ったカメラマンの思い出でもない

泳いでいるのはこの世に存在したことのないアロワナ


お住まいの窓が一面の水槽になる3Dバーチャル水槽(リッチアロワナ)

とはいえ何匹ものアロワナを無からつくり出すのは無謀

静止画ならまだしも同じ動きは繰り返さず泳ぎ続ける動画

かれらはオリジナルの動きを分析し公式にしてプログラムされた

かれらは断片化した思い出の集合体である

その鱗のそよぎその鰭の挙措


水槽の透過度を50%まで上げると

奥行きのない水のむこうが夕映えている

二重に映る桃金の雲

私の顔 直管灯 大きな魚

わずかなラグを生じて映ずるすべてが思い出

2019年10月23日水曜日

ル・グィンを読んで作った詩 2篇

母の声(inspired by U.K. Le Guin Winter′s King)

                 (2018.Sep.9)


 声が聞こえる
 男でも女でもない声
 胎内から出たこともないのに
 そのどちらかがわかるわけがないじゃないか
 その声はいまわたしがいる暗闇
 そのひとの声だ
 温かい暗闇そのものが震えるから
 わたしはわかる
 わたしはその声をおぼえた。
 光の中に出てからも

 その声はいつも話している
 自分の行為によってわたしを生み出してしまったから
 心配しているのだ
 心配することなどないのに。

 その声は大切なことしか言わないから
 わたしはいつも耳を傾けている
 やぶで遊んでいるときも
 試験を解いているときも
 その声はあらゆることを語る
 そのひとはどこから来たのか
 この世界とはどんなところか
 危険について
 理想について

 舌が消え、頭蓋が滅びても
 その声はわたしにやさしくささやきつづける
 やがてわたしが暗闇のなかへ戻っていくとき
 暗闇の中で
 その声を最後に聞くだろう。



あなたの・にのうで 


 
 あなたの肩からつづくあなたのにのうで
 袖なしから溢れ出るあなたのにのうで
 細いほうではなく太いほうのにのうで
 もし必要がないときは何も着ようとはしない
 あなたのにのうで

 おりたたまれて隙間を柔らかい肉が埋めている
 肌色は人間の肌のグラデーションのある点を示している
 細い、けれど短くはないうぶ毛が輪郭を少しあいまいにしている
 胴にひきつけられて手元を安定させている
 にのうで
 私が触れたとすれば
 冷たく そして温かい
 あなたのにのうで



2018年4月29日日曜日

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んで作った詩

 行く手の段の上に、なにか小さいものがほこりの中で動いていた。
 それを見るなり、イジドアはスーツケースをほうりだした。

(フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』朝倉久志 訳、  ハヤカワ文庫、1977年)



  「『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んで作った詩 」


 むかいの座席(シート)の男性の
 しらが混じりの頭のかげに 蜘蛛がいる
 手のひらほどの
 磨りガラスの
 蝋製の
 白い大きな蜘蛛

 外側にいるのだろうか
 猛スピードで東へ走る急行電車の窓の
 蜘蛛は内側にいるのだろうか

 ふたたび黒い文庫本の中にもぐりこむ
 Do Androids Dream of Electric Sheep?

 顔を上げると
 もう蜘蛛はいない
 蜘蛛などというものは
 ずいぶん前から

 電車が走り去った
 線路の間に
 磨りガラスの蜘蛛の脚が落ちている
 もうずっと前から 

 電車の窓に蜘蛛の亡霊がはりついていることがある
 白い手のひらほどの

 ホームにちらちら漂っている埃は
 小さな羽のある虫の亡霊で
 この季節になるとあらわれる

 (げんじつにはまだ蜘蛛はいる)
 電車の窓に蜘蛛がはりついていることがある
 電車の窓に蜘蛛の亡霊がはりついていることもある