2016年5月25日水曜日

大英帝国の汚水溜め ドクトル・ワトスンの登場(新ロシア版ホームズのすすめ)


のちに一連のホームズ物語の記録者となる元陸軍医ジョン・H・ワトスンは第五ノーサンバランド・フュージリア連隊所属の軍医としてアフガン戦争に従軍し、負傷したうえ病に倒れ生死の境を彷徨った末、健康・精神ともにいちじるしく衰えさせて祖国大英帝国のポーツマスにたどり着く。この時の彼は、ほんの少し未来に会うことになる、あの変人と言えるほど個性的で興味ぶかい同居人、私立探偵シャーロック・ホームズのことなど少しも知らないし、そんな男のことなど想像してみたこともなかっただろう。ワトスンはこの時の自分についてこう綴る。

 (前略)ポーツマス港の桟橋に上陸したとき、私は九か月間の静養休暇を祖国イギリスからあたえられていたものの、ひどい状態で、とうていもとの健康にもどりそうもなかった。イギリスには、友人も親類もいなかった。わたしは、空気のように自由だった――つまり、一日の支給額十一シリング六ペンスで生活するかぎり、自由の身だった。そんな状態だったわたしは、ふらふらとロンドンにひきよせられていった。イギリス帝国のあらゆる遊び人たちが、その日暮らしをしているあの巨大な糞尿だめに、ひきよせられていったのである。(1984年、偕成社『シャーロック=ホームズ全集1 緋色の研究』)

しばらくのあいだ自堕落なホテルずまいをしていたワトスンは、しかし生活を立て直そうと決意して下宿を探しはじめ、スタンフォード青年の紹介でシャーロック・ホームズに出会うのである。実は、これがたろうがホームズ物語の中でもっとも好きな箇所なのだが、こうして改めてみてみると、ワトスン博士とシャーロック・ホームズの物語はずいぶんと陰鬱な幕あきをしているのである。



そのせいだろうか、違うかもしれないが、映像化されたホームズものでこの場面が描かれることは意外少ないようである。たろうが知っている作品に限られるが、たとえば、

・ワーシリー・リヴァーノフのホームズのソ連版ホームズ(1979年)は、快活な友情と冒険の物語で、ワトスンが友人からホームズと引き合わせられるところからはじまる。

・ジェレミー・ブレットのホームズのグラナダ版(1984年)では、ホームズとワトスンは第一話の「ボヘミアの醜聞」から同居していて、ワトスンの帰郷は描かれない。

・ガイ・リッチー監督の映画版「シャーロック・ホームズ」(2009年)は、そもそもワトスンが結婚にともないホームズとの同居を解消して出ていこうとしているところからはじまる。



舞台を現代に移したBBC版(2010年)では、冒頭、ジョン・H・ワトスンはホテルの部屋でひとり戦場の悪夢にうなされている。彼は飛び起き、ふたたび寝入ることができないまま、夜は白々と明けていく。彼はカウンセリングに通うが、カウンセラーにすすめられてはじめたブログに書くべきことを見出せない。原典での、マイワンドからペシャワール、ポーツマス、ポーツマスからロンドン、そしてベーカーストリート221Bへの地理的彷徨は、「日々」の明け暮れという時間的彷徨、そしてなによりも本質である精神的彷徨に見事に置き換えられている。


しかし、そのものずばり、ワトスン博士がロンドンに降り立つところもぜひ見たいではないか。



新ロシア版(2013年)では、意気阻喪したジョン・H・ワトスン医師は血の気のない白っぽい顔をして、小柄な人間ほどもある大荷物を肩から提げて、駅の雑踏の中へ汽車から降りてくるのだ。



たろうが新ロシア版ホームズの第一話で圧倒されたのは、夜の酒場にうごめく人々ひとりひとりでした。彼らのいる闇は、ドクトル・ワトスンのいる個人的な闇、貧困と悪意と犯罪の蠢くロンドンの闇、そしてドクトル自身も戦争を通してつながっているところの大英帝国の闇であり、若き名探偵シャーロック・ホームズはそれに対して生きいきと輝く光なのです。



と、いうことで新ロシア版ホームズ「名探偵シャーロック・ホームズ」は5月26日(木)AXNミステリーで放送http://mystery.co.jp/programs/sherlock_russiaです!

2015年8月7日金曜日

Three Days in the Countryが観たくてツルゲーネフ「村のひと月」を読む



いつまでもホームズしばりを続けるわけにはいかなかったが、偶然に今回も図書館が関係してくる。


たろうは、俳優のMark Gatiss(マーク・ゲイティス)さんが大好きだ。ファンと、言っても、許されるだろうか。氏は7月21日から10月21日の期間で上演されるThree Days in the Countryという作品に出演している。場所はロンドン、ナショナル・シアター。当然、たろうには観に行くことはできない。いいなあー。観たいなあ。どんなお話なんだろう。

この作品はツルゲーネフの戯曲「村のひと月」を元に、劇作家でコメディアンのパトリック・マーバーが翻案したものである。

つまり、「村のひと月」を読めば、大体どのような舞台であるかということはわかるはずだ。よし、「村のひと月」を読もう。

次の記事を書きあぐねたままずっと放置していたこのブログに書こうと思ったのも、ひとえにゲイティスさん好きさの故だ。(次はホームズ関連のことを書きたいと思う。)


 ところが、いざ探してみると、本がない。

(中学や高校の国語の文学史では、二葉亭四迷の業績として、必ず小説『浮雲』(1887年)とともにツルゲーネフの『あひびき』、『めぐりあひ』などの翻訳(ともに1888年)が挙げられる。そもそも、外交官を目指していた二葉亭が文学に目覚めたのもドストエフスキーやツルゲーネフなどロシアの小説がきっかけだった。二葉亭四迷といえばツルゲーネフ、ツルゲーネフといえば二葉亭四迷というくらいだが、裏を返せば、現在の一般的な認識はそこにとどまってしまっているのかもしれない。小説でなく戯曲であればなおさらだろう。)

本の通販サイトで見た限り、『初恋』、『父と子』、『猟人日記』あたりは文庫にも入っているものの、「村のひと月」はツルゲーネフの名作選集や全集にしか入っていない。その全集はというと、いずれも在庫切れ(絶版)だ。古本も少ないし、高い。(世界戯曲全集というようなシリーズには入っていることもあって、こちらの古本は比較的安価だった。とはいえ、どれも大正時代、昭和初期の本だ……。)

 とすれば方法はひとつだ。図書館である。


 ツルゲーネフ全集は地下の書庫にあった。

『ツルゲーネフ全集 第10巻』、1996年日本図書センター発行。収録作品は「村のひと月」、「田舎をんな」、「食客」の戯曲三作。昭和12年に、東京本郷の六藝社から発行されたものの復刻版である。扉から本文、奥付などは110パーセント拡大でそのままで、新たに解説が付いている。つまり、旧字旧かな遣いで、言い回しもかなり古めかしい。

 しかし、何はともあれ、本が手に入った。内容に入っていこう。

「村のひと月」、訳者は米川正夫である。


 登場人物は13人。

 裕福な地主イスラーエフ氏(36)、その妻ナターリヤ・ペトローヴナ(29)、息子コーリャ(10)、養女のヴェーロチカ(17)、イスラーエフの母アンナ・セミョーノヴナ(58)のイスラーエフ一家。

 それにアンナの話相手リザヴェータ・ボグダーノヴナ(37)、同居人でイスラーエフの友人ラキーチン(30)、ドイツ人でコーリャの家庭教師シャーフ(45)、新たにやってきたロシア語の家庭教師べリャーエフ(21)、従僕のマトヴェイ(40)、小間使いのカーチャ(20)。

 そして今回の舞台でゲイティス氏が演じる地域の医者のイグナーチイ・イリーチ・シュピーゲルスキイ(40)と、隣村の地主ボリシンツォーフ(48)。

(ヴェとしたところはすべて原文ではヱに濁点)




 作品の発表は1855年、初演は1872年。

 時代設定は1840年代、季節は夏、全場面がイスラーエフの家庭内である。物語の概略は以下の通りである。


善良だが平凡なアルカーヂイ・セルゲイッチを夫に持つナターリヤは、ラキーチンと節度ある関係を保ちつつ心を通わせあっていた。そこへ息子の家庭教師として、ベリャーエフがやって来る。素朴で内気な青年だが、子どもたちはよく懐く。

それからひと月足らず、シュピーゲルスキイは養女のヴェーロチカと年の離れた隣村の地主との縁談を持ち込む。当初は乗り気でなかったナターリヤだが、自らがベリャーエフに今までにない感情を抱いていることを自覚し、更にヴェーロチカが彼に思いを寄せていると確信することで、激しく動揺する。

そして各人苦悩の結果、ベリャーエフとラキーチンはあいついでイスラーエフ家を去り、ヴェーロチカもボリシンツォーフとの結婚によってイスラーエフ家を出ることを決意する。


 第一幕は大広間や書斎につづく客間、第二幕は庭、第三幕がまた客間、第四幕は庭の亭(あずまや)、第五幕でまた最初の客間に戻る。

 ここで気になるのが登場人物表の横に記された「第一および第二、第二および第三、第四および第五幕の間は各々一日たつてゐる。」の一文をどう解釈すべきかということだ。これは、内容を見ていけばわかることである。

まず、第二幕は第一幕の翌日である。(第一幕は夕方であるが、ナターリヤが訪ねてきたシュピーゲルスキイに「あなた、宅で食事をなさいますか?」と訊ね、第二幕で「シュピーゲルスキイさんはもう帰りましたかしら?」と言っていることから推測される。ドクトルはおそらくはイスラーエフ家に一泊して帰ったのだろう。)

また、第三幕も第二幕の翌日である。(ラキーチンはナターリヤに「わたしはもう一昨日から、あなたの心に何か変化が起こったと言ってるでしょう」と言っている。これは第一幕の日のことである。)第三、第四幕は同日で(前幕の最後にナターリヤが「わたしはあの人(ベリャーエフ)に手紙を書こう」と言って急いで書斎へ去った後、第四幕でベリャーエフがその鉛筆書きの手紙を手にしている。)、最後の第五幕はその翌日である。

第一幕でのベリャーエフの「わたしがここへ来てから、もう幾日になりますかねえ」という問いに、小間使いのカーチャ(ベリャーエフを慕っている)は「今日で二十八日目ですよ」と答えている。


こうして、物語の全ては夏の一ヶ月の最後の四日間の出来事だということがわかる。「村のひと月」という題名の理由である。

構成としては、第一幕、第二幕、第三・四幕、第五幕で起承転結にあたり、激動の三日間、そして全てが終わる四日目となっているので、リライトでThree Days in the Countryとされたのではないだろうか。


などと当たり前のことを長々と書いてしまい、またこの先も長くなってはいけないので、シュピーゲルスキイを中心にまとめたい。

シュピーゲルスキイは腕のあまりよくない医者である。彼は謝礼の馬車用の馬三頭を目当てに、なんとかボリシンツォーフとヴェーロチカの縁談を成立させようとイスラーエフ家の中を動き回る。機嫌の悪いナターリヤは彼を「あの田舎出来のタレイラン」と呼び、「頭ばかりぴょこぴょこ下げてるくせに、恐ろしく図々しい横柄のところがあつてね…仕様のない恥知らずよ」と評す。

しかし、シュピーゲルスキイのほうでも、リザヴェータにまったく実際的な求婚をしながら、ナターリヤをかなり辛辣に批評しているのである。彼は未来の妻に、自分の素顔について「わたしは他人にゃ笑っても見せますが、その実腹の中では、この馬鹿野郎め! うまく鉤に掛かってるのを知らないのか、と思ってるんですよ」と語る。しかしこれも、あるいは彼の手管なのかもしれない。人は他人に素顔らしいものを見せられると、心動かされるものだからだ。

なにもおしゃべりなのはシュピーゲルスキイだけではない。ナターリヤとベリャーエフも、未熟でおとなしいヴェーロチカでさえ自分たちの立場と思いをよくしゃべる。(それはもちろん演劇だからでもあるが。)現代人なら、同じ状況に置かれた時、沈黙のまま探り合いを続けるだけのような気がする。

だがナターリヤはそれによって自分の立場と安寧が崩れることがわかっていても、なお自分とは何なのか、誰なのかを知ろうとすることをやめられない。シュピーゲルスキイは「自分とはこういうもの」とあらかじめ決め込んでしまって、その裏と表を使い分けることで生きているのだが、どちらにせよ、自分の、人間の真の姿とはなんなのか? という作品全体にひかえめに漂う問いは、財産も名誉もない160年後の自分でも、自身に問い掛けて、答えることのできない難問だ。


物語の中で、健康的で現実的なカーチャの存在が爽やかだ。第四幕、カーチャは言う。
「あのリザヴェータ・ボグダーノヴナも、あのお医者の奥さんになるんだろう…(笑う)おお厭だ…わたしなんかちっとも羨ましかないわ…おや、まるで草が洗ったようだ…何ていい香りだろう」
ちっとも羨ましかないわ、とたろうも真似をして言ってみる。ああ、けれどもカーチャ、本当にそう言えるだろうか?


(引用は全て、文中で紹介した『ツルゲーネフ全集 第10巻』より。原文では旧字旧かな遣いのものを新字新かなに直した。)

2014年11月17日月曜日

たろうとホームズ高校生篇 ぼろぼろの『シャーロック・ホウムズ読本』

 
 
 偕成社の青いシャーロック・ホームズ全集の巻末には、作品解説とコナン・ドイルの年譜に加えて、ホームズ物語の周辺情報がまとめられれている。 

 第一巻の『緋色の研究』では「ホームズの人生を生きる人たち」として、訳者の各務三郎さんが、世界のホームズ愛読者や「シャーロキアン」について書いている。各務さんはシャーロキアン(これはアメリカや日本で一般的な呼び名で、イギリスでは「ホームジアン」と呼ぶことも多いらしい。)を「ホームズを愛し、より充実した人生を生きようとしている人たち」と表現し、日本を含めた各国のシャーロキアンの組織と著作を紹介する。

 中でも「熱狂的な」シャーロキアンの会としてアメリカの「ベーカー・ストリート・イレギュラーズ」と、その会報から編集された『シャーロック・ホウムズ読本――ガス灯に浮かぶ横顔』(原題PROFILE BY GASLIGHT An Irregular Reader About the Private Life of Sherlock Holmes、エドガー・W・スミス編、1944年刊、邦訳は研究社より1973年刊。)について詳しく述べている。
 その中では「ホームズの蔵書目録をつくったり、ホームズ家の盾型紋章を作成したり、ホームズの家系について論じられたり」されており、他にワトスンの傷の位置について、はたまた「ワトスンは女だった」という考察もあるという…。

 その頃のたろうは、その本を見つけ出して実際に読もうとは思いつかなかった。ただ、各務さんの文章を繰り返し読み、真ん中にこちらに横顔を見せて窓辺にたたずむホームズの絵を配した『シャーロック・ホウムズ読本』の書影を眺めていた。


 あんなにもホームズ物語に夢中だったたろうだが、中学生になるころには、ミステリとしてはより複雑でより洗練された現代日本の作品に重心が移っていた。

 それが、進学した高校の図書館に揃えられていたちくま文庫版のシャーロック・ホームズ全集(ちくま文庫「詳注版シャーロック・ホームズ全集」ベアリング・グールド解説・注、小池滋監訳)を手にとってみて、ひさしぶりに胸の奥でもぞもぞ動くものを感じたのだ。
 クラフト・エヴィング商會による美しい表紙を開くと、本文に迫るいきおいでびっしりと注。ワトスンの文章の細部(天候、曜日、その他…)から各事件の日時を特定して、順番に並べてある。もぞもぞしているのは、どうやら小学生の頃からのシャーロキアン――「ホームズを愛し、より充実した人生を生きようとしている人たち」――への憧れらしかった。

 そんなある日、駅前の古本市をうろうろしていると覚えのある書名の背表紙が目に飛び込んできた。『シャーロック・ホウムズ読本』。
 近づいて棚から抜き出すと、表紙の真ん中でガウン姿の名探偵が横向きになってパイプをふかしている。間違いなくあの本だ。状態はあまりよくはない。カバーに折り皺、本体も擦り切れて、水に濡れたあともある。中身も黄ばんで、古い紙のにおいがする。でも紛れもなくあの本だ。薄茶色の帯が残っていて、そこにはこうある。
「シャーロック・ホームズは生きていた! シャーロック学の名著完訳」

 欲しい。でもぼろぼろだ。これは適正価格なんだろうか。もっと状態のいいものがあるかも。本当に? 古本街の近くに住んでいて、今までにこの本を見かけたことがある? 
 たろうは財布から五百円玉を取り出して、レジの前に進んでいった。


 家に帰り、手を洗ってから、机の前で目次を開いてみる。

 シャーロック・ホウムズの蔵書禄 (ハウアド・コリンズ)
 シャーロック・ホウムズの盾型紋章 (ベルデン・ウィッグルズワス)
 シャーロック・ホウムズ氏の真正なる盾型紋章 (W・S・ホール)
 ウォトスンは女であった (レクス・スタウト)
 ウォトスンは女ではなかった (医学博士 ジュリアン・ウルフ)

…などなど。まさにあの青い本で紹介されていたシャーロキアンたちの文章の数々。

 本文にとりかかる前に訳者の鈴木幸夫さんによるあとがきを読んでいると、こんな一文があった。

 「はじめに、この本の読者に敬意を表します。文学、小説、とくに推理小説の面白さを知っている人、教養豊かな、知的魅力の享楽家つまり高雅なエピキュリアンであるからです。」

 …大変だ。高校生のたろうは慄いた。この本を読むに相応しい人間にならなければならない。
 …死ぬまでに間に合うかなあ?

 たろうはとりあえず本棚の隅にホームズコーナーを作り、ぼろぼろの『シャーロック・ホームズ読本』と青い『緋色の研究』の二冊を安置した。そして心中密かに、いつの日か胸を張ってシャーロキアンと名乗れるように精進することを誓ったのであった。






 

2014年11月2日日曜日

たろうとホームズ小学生篇 青い『緋色の研究』

 
 
 
たろうの本棚に一冊の青い本がある。これはたろうにとって特別な本。

 偕成社の各務三郎訳『シャーロック=ホームズ全集1 緋色の研究』、奥付を見てみると1984年初版第1刷発行だ。もともとは紙のカバーを着けていたはずが、たろうの手元に来るまでにどこかで失くしてしまったようだ。むきだしの表紙には青地に黒でおそらく百年ほど昔の、ロンドンの河岸の景色が描かれている。

(この表紙の、シアンブルーに近い青が印象的すぎて、たろうは長い間、「緋色」というのはこんな色なんだと思い込んでいた。それが「スカーレット」のことだと知ったのはずっとあとのことだ。ばかだなあ! それでは、作中で探偵が無色のかせ糸の中に混じった緋色の一本をこの社会における犯罪に例えるくだりも、壁に血で書かれた「RACHE」の文字も、ちっとも題名と響き合わないのに!)

 
 この本で、元陸軍医ジョン=H=ワトスン医学博士は、シャーロック=ホームズと運命的に出会う。そしてたろうも同じように、シャーロック・ホームズに出会った。
 わたしは、空気のように自由だった。(中略)そんな状態だったわたしは、ふらふらとロンドンに ひきよせられていった。イギリス帝国のあらゆる遊び人たちが、その日暮らしをしているあの巨大な糞尿だめに、引きよせられていったのである。(上述『緋色の研究』8、9ページ)
こんな風に陰鬱に始まる物語は、たろうにまだよく知らない大人の世界の、あるいは人の内面の、薄暗いところを見せてくれた。そうしていつのまにかこの寒い、霧の中の「糞尿だめ」の街は、たしかにたろうの心象風景の一部にまでなってしまったようだ…。


 ほんとうに残念なことに、シャーロック・ホームズの物語で最初に読んだのがどの作品だったのか、実は思い出すことができない。この『緋色の研究』を読んでホームズ物語に興味を持ったのか、それともホームズ物語を読みはじめたところにこの本をもらったのか。でもどちらにしても、けっきょく同じことだ。この本をもらった時、たろうは小学一年生だった。小学生のたろうはホームズに夢中だった。

 小学校の図書室にホームズ物語は二種類あった。
 ひとつは、子ども向けに内容を省略・改変してリライトされた版型も字も大きなシリーズで、表紙のホームズは鹿撃ち帽をかぶり、曲がったパイプをくわえてチェックのインバネスコートを着ていた。たろうはまずこちらを読みはじめた。このシリーズで読んだもので覚えているのは『消えたカーファクス姫』。それから「アベイ荘園」の話もこちらではじめて読んだ気がする。(どうやらこれは岩崎書店発行のシリーズのよう。)
 もうひとつは、青い『緋色の研究』と同じシリーズ。本を読むのに慣れてきたたろうは次にこちらに手をつけた。文章は子どもにも読める易しい言葉で訳してあるが、挿絵は19世紀の末から20世紀のはじめにかけて雑誌に連載された時のものだ。黒いカバーには、本文中のイラストが明暗を反転して黄色で浮き出ていて、それが子ども心になんだか猟奇的、扇情的に感じられた。このシリーズで読んで印象的なのは「青い紅玉」、『バスカヴィル家の犬』、「唇のねじれた男」…。


   どちらのシリーズも、どうやら完全に揃っていたのではなかったようで、ホームズ物語の中でもそれから十年ほど経って初めて読んだ作品もあるし、ぼんやりとしか覚えていなかった作品もある。
 大きな屋敷の前の池に浮かぶ白鳥、銛で壁に串刺しにされた男の死体、食卓の上の冷たい肉料理…。そうした断片だけをよく覚えていて、今、慌てて読み返している。たろうは不真面目なホームズファンだ。

 だが、そんなことはたいした問題ではない。
 シャーロック・ホームズという名探偵の存在だけは、すでにたろうの中にしっかり根を下ろしてしまったから。『緋色の研究』のはじめに、彼がジョン・H・ワトスン博士の手をとってこう言った時に。
「アフガニスタンから、お帰りになりましたね。」(同15ページ)
  たとえのろのろよろよろとした歩みであっても、たろうのホームズ道がたぶん果てしなく続くことは、その時に決まったのだ。

2014年10月28日火曜日

豊島区立雑司が谷図書館かつてありき

 東京の新宿、豊島、北、荒川の四区にまたがって走る都電荒川線、その鬼子母神前停留所のすぐそば(京極夏彦の『姑獲鳥の夏』に出てくる鬼子母神堂や雑司が谷霊園は、ここから歩いてすぐのところにある。)に、千登世橋教育文化センターがある。
 この地下一階に、かつて雑司が谷図書館があった。

 大きな図書館ではなかった。専門的な資料は少なく、時間を持て余した大人たちや放課後の子どもたちがのんびり読書していることが多かった。
 たろうもその一人で、都電の停留所いくつかぶんの道のりを、線路ぞいをぽてぽて歩き、千登世橋の下をくぐって通っていた。文化センターの上の階の温水プールで、見知らぬ人に泳ぎを教えてもらった帰りに寄ることもあった。

 階段を降りて自動扉を入ると館内がすべて見渡せる規模だったことが、むしろ大きな図書館にはない魅力につながっていたと思う。たろうが児童書からYA(ヤングアダルト)、そして一般文芸へと自然に興味を広げて行けたのも、ひとつは雑司が谷図書館のおかげでありました。
 資料数は少なくても(たとえば京極夏彦作品だと、なぜか「百物語シリーズ」は揃っていたが、「百鬼夜行シリーズ」は一冊もなかった)、蔵書には味があった。

 小学生のたろうが夢中になったのは、まず、はやみねかおるの夢水清志郎事件ノートシリーズ、そのころ評判になりはじめていた上橋菜穂子の守り人シリーズ。小学校の図書館に一冊だけあった(なぜだ)夢枕獏の陰陽師シリーズもここには全て揃っていた。伊藤遊、岡田淳、高楼方子などの作品に出会ったのもこの図書館の児童書コーナーでだった。(それらの本についてもそのうち書きたいな。)
 ほんの少しだけの漫画コーナーも充実していて、石森正太郎の日本の歴史、『あさきゆめみし』、『ベルサイユのばら』、『つる姫じゃ~っ!』、『王家の紋章』など…。(つまり古かった。)日本の漫画史がなんとなくわかったのもこの漫画コーナーのおかげだった。
 そのあと、YAの棚に置かれていた梨木香歩を読み、長野まゆみを読み、宮部みゆきの時代物を読んだ。雑司が谷図書館が、たろうに本と一緒の幸せな小学生時代をくれたのだ。

 ちょうどYAの棚の真上には、ふくろうの模様のステンドグラスが輝いていた。

 中学校に上がって忙しくなり、少し遠くへ引っ越したこともあって、雑司が谷図書館まで歩いていくことは少なくなった。
 たろうが中学二年生の秋、雑司が谷図書館は閉館した。最後の日はちょうど運動会で、お別れをすることはできなかった。 
 その日から何年も、千登世橋付近には足が向かなかった。雑司が谷図書館が本当になくなってしまったということを、目にするのはいやだった。図書館の跡は新しくできる地下鉄副都心線の関連施設になるらしかった。

 去年、年も押し詰まったある早朝、どうしても眠れなくて一晩中寝床で輾転反側した挙句、もう眠ることをあきらめて、コートを着、マフラーを巻いて外へ出た。六時過ぎだった。
 何の目的もなく都電の線路脇を歩いていくと、そこは雑司が谷だった。
 千登世橋の下をくぐり、教育文化センターの前まで来て、初めて階段の下をのぞいた。誰もいない。冷たい風が枯れ葉を吹き飛ばしていく音だけがする。そこに図書館はなかった。

 おそるおそる階段を降りて、図書館の自動扉のあったところに立ってみた。ここは今は地下鉄雑司が谷駅への通路になっているのだった。

 歩いていくと、途中にがらんとしたスペースがあった。頭上にふくろうのステンドグラスが光っていた。

 あっちは雑誌の背の高い棚。ここはソファ。そしてこっちがYAの棚。だった。それがはっきりわかるくらい、そこだけが図書館のあった時のままだった。涙が出そうになって、くるりと踵をかえして地上に戻った。
 
太陽の光が大通りを照らしはじめて、会社勤めの男の人が足早にたろうの前を通り過ぎて行った。