2016年10月24日月曜日

ヒラリー・マンテル『ウルフ・ホール』 謎の男トマス・クロムウェル

 物語は1500年、ロンドン近郊でテムズ川近くのパトニーから始まる。酒びたりの醸造業者兼鍛冶屋の父ウォルターに殴られて育った少年のトマス・クロムウェルは、ある日ついにドーヴァーを渡って兵士になろうと旅立つ。
 次の章にトマスが現れた時は1527年、27年が経ち、彼は中年になっている。その間のことは物語の中で直接には語られない。トマス自身も語らず、敵やライバルたち、王や枢機卿でさえさまざまに憶測して噂するしかない。ただ、彼の切れ切れの追憶によって、読者には傭兵としてヨーロッパをさすらい、イタリアで商業や金融の修行をして帰国し、妻と出会い、弁護士として成功したことが断片的にわかるだけである。トマス・クロムウェルは謎の男である。おそらく彼自身にとっても、彼は謎である。
 トマス・クロムウェル(1485?~1540)は遠縁のオリバー・クロムウェル(1599~1685)とは違い、日本ではあまり知られていない人物である。同じようにこの物語の主要人物であり、イギリスのローマカトリックからの離脱と国教会の確立の主因となった「ヘンリー八世の離婚問題」の中心人物であることろのヘンリー八世、キャサリン・オブ・アラゴン、アン・ブーリン、トマス・モアは高校までの歴史の教科書に載っているが、クロムウェルはそこに登場しない。 しかし、ヘンリー八世、アン・ブーリン、トマス・モア、そしてエラスムスと同じように、ホルバインによって肖像画を描かれたうちの一人だった。
 由緒ある系譜に連なるのではないこと、また1540年にヘンリーの不興をかい刑死したのちには、カトリックの信仰を貫こうとした「トマス・モアを死に追いやり、アン・ブーリンを利用して王室を混乱させたのちに用済みになると陥れた」悪役としてのイメージが上書きされる機会がなかったせいだろうか。
 この物語のトマス・クロムウェルは不思議な男である。
 小説は、「彼は……」「彼は……」という主語(文中で「彼」がつかわれるときそれはほぼクロムウェルのことをさす。)でトマスの見聞きした事実、トマスの心に浮かんだ考えによって進行する。この主人公トマスの中にもぐりこんだ三人称の視点によって、彼の周囲の人々はカメラで写すようにくっきりと描写されるのにもかかわらず、トマスのほうは曖昧模糊としたままだ。語らせようと思えば、彼にいくらでも自分を語らせることも認識させることもできるのに、ひとは自分については考えたり直観したりできないものらしい。代わりに、微に入り細をうがち描き出されるまわりの人々のうちに、トマスが見えてくる。あたかも彼ら彼女らの瞳に彼ら彼女らをみつめるトマスが映ってみえるように。
もっともはっきりとトマスと対になっている人物は、同じトマスという名をもつトマス・モア(1478~1535)ではないだろうか。シリーズ一作めの『ウルフ・ホール』は、たびたび引き返す道を示しながらもクロムウェルが主導し、モア自身もかまわずそこに突き進んでいったモアの斬首でひとまず終わるのである。
 1529年に大法官、そしてクロムウェルの仕えるウルジーの敵として登場するモアは、『ユートピア』で英国の現状を生き生きと風刺した若き日の彼ではなく、家を継ぎ、再婚し、人生によって摩耗した天才に見える。一時は聖職を志したいまのモアは、トマスの目には、というよりトマスの目をとおした読者の目には、古い信仰にしがみつき、どこかマゾヒスティックでもありサディスティックでもある、苦行僧じみた奇怪な老人である。ロンドンの名家に生れたモアはクロムウェルの数歳年長であり、伯父の働く調理場で使い走りをしていたクロムウェルは、生きるか死ぬかの死線をくぐりぬけ、生き馬の目を抜く商業と法曹の世界に暮らした年月を経てなお、天才少年との邂逅をよく覚えている。
 BBC制作のテレビドラマでは、トマス・クロムウェルをマークライランスが、トマス・モアをアントン・レッサーが演じている。がっしりとした、中年に入って少し肉がつき、「人殺しの顔」と身内にまで言われる原作の描写とは多少異なり、ライランスのクロムウェルは痩せ型で眉の太いもの静かな風貌で、しかし深い皺がこの弁護士を謎めいて、時にむしろモアよりも老けて見せている。対してアントン・レッサーのモアはかつての美男の面影を残した、ぼうぼう髪の、真っ白なうさぎを抱いた小さな老人である。この美しい小さな老人が、英訳聖書を読む異端の市民を探り出し、魂を救うため必要と考えれば拷問するのである。
 ふたりは王の離婚、プロテスタントの信仰とカトリックの信仰、ローマからの独立をめぐって政治的な立場からだけでなく、心情的にも激しく対立する。いや、揺れ動いているのはクロムウェルの心だけで、モアははるか昔に完成されてしまったように、クロムウェルがいくら歯がみしようとも、冷たく揺るがない。

 あなたは自分が知っているすべて、自分が学んだすべてが、前に信じていたことのままだと、どうして確信できるんです? おれの育った環境、信じていたはずのものは、すこしずつ欠け、破片は断片となり、断片はさらに大きくなるというのに。毎月毎月、この確実な世界から角がはがれ落ちていくんですよ。(『ウルフ・ホール』上巻71ページ)

 しかし、クロムウェルとモアは同時に互いの似姿でもある。苦労を重ね才能に恵まれた弁護士の父親に対して、彼らの息子たちは善良だが才知に欠け、頼りない。彼らが望みをかけるのは優秀な娘たちである。クロムウェルは妻を亡くし、モアは妻を亡くして新しい妻を娶り、愛していない。
他の人物たちも、いわばトマスの網膜という鏡に移った彼でもある。
 アン・ブーリンは常に足場に神経をとがらせなければならない成り上がりの彼である。
 ヘンリ八世はかえりみられなかった子どもとしての彼である。
 トマスとともにウルジー枢機卿の側近で、情勢が不利になるや王側につくスティーヴン・ガーディナーは、しかし常にトマスの一歩後ろに甘んじることになる。最大の敵であるトマスの過去を探り「君が知らないことを私は知っている」と囁くガーディナーは、王家の庶子と噂され、幼少時から不当な扱いを受けてきたという不満を燻ぶらせている。彼にとってトマスはその自分の境遇をつきつける一種の自画像であり、それゆえに彼はますますトマスを憎むのである。この作品においてモア、アン・ブーリンについでトマスと強い対比がなされているのはこのスティーヴン・ガーディナーではないかとたろうは考える(しかしこれはたろうがドラマでガーディナーを演じたマーク・ゲイティスのファンであるためかもしれない。)
 このようにして、謎の男トマス・クロムウェルは、読者の前に次第次第に、ぼんやりと、おぼろげに姿を現してくる……。


(「ウルフ・ホール」については、全部書き終わるまで考えているときりがなさそうなので、とりあえずこれでUPして、順次書き足していこうと思います……。)

BBC制作ドラマ版の情報はこちら 。現在AXNミステリーのみでの独占放送ですが、2016年の年明けから何度か繰り返して放送されています。
 http://mystery.co.jp/programs/wolf_hall

2016年5月25日水曜日

大英帝国の汚水溜め ドクトル・ワトスンの登場(新ロシア版ホームズのすすめ)


のちに一連のホームズ物語の記録者となる元陸軍医ジョン・H・ワトスンは第五ノーサンバランド・フュージリア連隊所属の軍医としてアフガン戦争に従軍し、負傷したうえ病に倒れ生死の境を彷徨った末、健康・精神ともにいちじるしく衰えさせて祖国大英帝国のポーツマスにたどり着く。この時の彼は、ほんの少し未来に会うことになる、あの変人と言えるほど個性的で興味ぶかい同居人、私立探偵シャーロック・ホームズのことなど少しも知らないし、そんな男のことなど想像してみたこともなかっただろう。ワトスンはこの時の自分についてこう綴る。

 (前略)ポーツマス港の桟橋に上陸したとき、私は九か月間の静養休暇を祖国イギリスからあたえられていたものの、ひどい状態で、とうていもとの健康にもどりそうもなかった。イギリスには、友人も親類もいなかった。わたしは、空気のように自由だった――つまり、一日の支給額十一シリング六ペンスで生活するかぎり、自由の身だった。そんな状態だったわたしは、ふらふらとロンドンにひきよせられていった。イギリス帝国のあらゆる遊び人たちが、その日暮らしをしているあの巨大な糞尿だめに、ひきよせられていったのである。(1984年、偕成社『シャーロック=ホームズ全集1 緋色の研究』)

しばらくのあいだ自堕落なホテルずまいをしていたワトスンは、しかし生活を立て直そうと決意して下宿を探しはじめ、スタンフォード青年の紹介でシャーロック・ホームズに出会うのである。実は、これがたろうがホームズ物語の中でもっとも好きな箇所なのだが、こうして改めてみてみると、ワトスン博士とシャーロック・ホームズの物語はずいぶんと陰鬱な幕あきをしているのである。



そのせいだろうか、違うかもしれないが、映像化されたホームズものでこの場面が描かれることは意外少ないようである。たろうが知っている作品に限られるが、たとえば、

・ワーシリー・リヴァーノフのホームズのソ連版ホームズ(1979年)は、快活な友情と冒険の物語で、ワトスンが友人からホームズと引き合わせられるところからはじまる。

・ジェレミー・ブレットのホームズのグラナダ版(1984年)では、ホームズとワトスンは第一話の「ボヘミアの醜聞」から同居していて、ワトスンの帰郷は描かれない。

・ガイ・リッチー監督の映画版「シャーロック・ホームズ」(2009年)は、そもそもワトスンが結婚にともないホームズとの同居を解消して出ていこうとしているところからはじまる。



舞台を現代に移したBBC版(2010年)では、冒頭、ジョン・H・ワトスンはホテルの部屋でひとり戦場の悪夢にうなされている。彼は飛び起き、ふたたび寝入ることができないまま、夜は白々と明けていく。彼はカウンセリングに通うが、カウンセラーにすすめられてはじめたブログに書くべきことを見出せない。原典での、マイワンドからペシャワール、ポーツマス、ポーツマスからロンドン、そしてベーカーストリート221Bへの地理的彷徨は、「日々」の明け暮れという時間的彷徨、そしてなによりも本質である精神的彷徨に見事に置き換えられている。


しかし、そのものずばり、ワトスン博士がロンドンに降り立つところもぜひ見たいではないか。



新ロシア版(2013年)では、意気阻喪したジョン・H・ワトスン医師は血の気のない白っぽい顔をして、小柄な人間ほどもある大荷物を肩から提げて、駅の雑踏の中へ汽車から降りてくるのだ。



たろうが新ロシア版ホームズの第一話で圧倒されたのは、夜の酒場にうごめく人々ひとりひとりでした。彼らのいる闇は、ドクトル・ワトスンのいる個人的な闇、貧困と悪意と犯罪の蠢くロンドンの闇、そしてドクトル自身も戦争を通してつながっているところの大英帝国の闇であり、若き名探偵シャーロック・ホームズはそれに対して生きいきと輝く光なのです。



と、いうことで新ロシア版ホームズ「名探偵シャーロック・ホームズ」は526日(木)AXNミステリーで放送http://mystery.co.jp/programs/sherlock_russiaです!