物語は本の中に書いてあるが、その本が収められた図書館も物語になりやすいようだ。その本が収められた図書館の物語を記した本が収められた図書館が……。
ややこしいのでやめよう。
さて、ホームズのことなどについて書きたいと言っていたブログですが当初からのもうひとつの大きなテーマは「図書館」なのではないでしょうか。(最初の投稿を見られたし。)
ブログを何か月も放置して何をしていたかというと、小説を読んだりドラマを見ていました。
そして「図書館は物語になる」という仮説に思い至ったわけです。
去年の夏には『薔薇の名前』(ウンベルト・エーコ)を読んで、映画版も借りてきて三回観ていました。また今年の春から秋にかけては、ドラマ「Person Of Interest」(1~5シーズン全103話)にかかりきりで、主演のマイケル・エマーソンとジム・カヴィーゼルの他の出演作(「ソウ」シリースの第一作や「大脱出(原題Escape Plan)」)を観たりしているうちにこんな季節になっていたというわけです。エマーソンの出ている「LOST」鑑賞は遅々として進みませんが。
さて仕切り直してもう一度。
物語は本の中に書いてあるが、その本が収められた図書館も物語になりやすいようだ。その本が収められた図書館の物語を記した本が収められた図書館が……。(ややこしいのでやめよう)
「Person Of Interest」第1話で、2011年、ニューヨークの早くも冷え込む9月、元軍人の路上生活者を強引な手段でスカウトした足の悪い眼鏡の男、自称「フィンチ」氏は相手を市内のある建物へ案内する。フィンチ氏はいう。
「西洋文明の衰退の象徴 予算削減で閉鎖された図書館だ。」
古めかしいこの廃図書館の床には、夥しい本が散乱している。(侵入者の存在にすぐ気づけるように、床に埃や小麦粉をまいておくのと似たような仕掛けだろうか?)だが上階へ上がれば、書架にきちんと収められた本が並ぶ居心地のいい空間である。ここがフィンチ氏の隠れ家らしい。(ただし住んではいないようだ。)コンピュータとネットに詳しいフィンチ氏のデスクはその中でも、金属製の優美な柵で保護された貴重書の棚の前に据えられている。ここが、のちのちまで二人(仲間は増えていく)の秘密基地となる。
図書館を舞台にした物語といえば、たろうには真っ先に「GOSICK」シリーズ(桜庭一樹)が思い浮かぶのです。これはまったく個人的な思い入れで、中高生時代に図書館で借りては読み耽ったからです。
「GOSICK」(GOTHICではないのです)の二人の秘密基地になっているのは、架空のヨーロッパの小国ソヴュール王国のとある学園の敷地に建つ聖マルグリット大図書館である。この図書館は皮の表紙を持つ、もしかしたら羊皮紙製の、大型本を所蔵する古いタイプの図書館で、主人公の久条一弥は友だちのヴィクトリカを訪ねて、庭園になっている最上階に辿り着くためには折れ曲がりながら延々続く木の階段を「足をだるぅく」しながら登っていかなければならない。
桜庭作品の中には、メジャーなこの聖マルグリット大図書館の他にも、もうひとつ、重要な図書館がある。と私は思う。
『ファミリーポートレート』の図書館である。いま本が手元にないので記憶に頼って書くので、もしかしたら間違っているかもしれない。
殺人を犯した母の眞子とふたりきりで、小さな町を転々としながら育つ主人公の駒子は、ある町の(たぶん公共)図書館に入り浸るようになる。食肉工場に勤めながら男(単数)に支配される母という現実から逃れて、駒子は、なぜか打ち捨てられ廃墟のようになっている図書館に、(たしか)無断で侵入し山のような蔵書に埋もれて過ごす。聖マルグリット図書館は新聞や電話の発達した1924年となってはもはや時代遅れになっているとはいえ、まだ権威と図書資料の保管という機能の残っている図書館だが、この図書館は現代の「市民のための」図書館であるにもかかわらず、その市民に忘れられもはや図書館の屍となっている。
図書館には廃図書館と活図書館、生きている図書館と死んでいる図書館がある。
『薔薇の名前』の図書館は「生きている図書館」と「死んでいる図書館」のどちらだろうか。
非常に貴重な図書を収め、厳重に管理されているはずのこの図書館は、しかし、中の本が読まれることを望まない図書館なのだ。迷路のような構造とその他の仕掛け(たろうは映画版でこの図書館の仕掛けが変更されかつ比較的単純な構造になっていることに最初かなり不満であった。)をもつ図書館は、いわば「図書館であることが自己目的化した図書館」ともいえるだろう。
図書館が図書館の白骨、図書館の化石となった時、あらためて物語の舞台になるのはなぜだろうか。
たぶん、通常の、平時の、本来の姿の図書館とは一種の生体であって、利用者と、利用者の使用によって動き、全身を巡る図書資料という血液の循環によって図書館たらしめられている。血の流れが止まり、肉が削げた図書館はもはや図書館ではなく、図書館の形骸をもつ亡霊に変わる。亡霊でなければ、ゴーストストーリーの登場人物にはなれない。
物語は本の中に書いてあるが、その本が収められた図書館も物語になりやすいようだ。その本が収められた図書館の物語を記した本が収められた図書館が……。そういうわけで、図書館は数多くの図書館の亡霊の気配でざわついている。
これが、図書館に行くとトイレに行きたくなる理由である。
(『薔薇の名前』は2019年放送予定のドラマとしてイタリアなどの合作で制作が進んでいるようです。そして、マイケル・エマーソンは修道院長を演じます。)