次の章にトマスが現れた時は1527年、27年が経ち、彼は中年になっている。その間のことは物語の中で直接には語られない。トマス自身も語らず、敵やライバルたち、王や枢機卿でさえさまざまに憶測して噂するしかない。ただ、彼の切れ切れの追憶によって、読者には傭兵としてヨーロッパをさすらい、イタリアで商業や金融の修行をして帰国し、妻と出会い、弁護士として成功したことが断片的にわかるだけである。トマス・クロムウェルは謎の男である。おそらく彼自身にとっても、彼は謎である。
トマス・クロムウェル(1485?~1540)は遠縁のオリバー・クロムウェル(1599~1685)とは違い、日本ではあまり知られていない人物である。同じようにこの物語の主要人物であり、イギリスのローマカトリックからの離脱と国教会の確立の主因となった「ヘンリー八世の離婚問題」の中心人物であることろのヘンリー八世、キャサリン・オブ・アラゴン、アン・ブーリン、トマス・モアは高校までの歴史の教科書に載っているが、クロムウェルはそこに登場しない。 しかし、ヘンリー八世、アン・ブーリン、トマス・モア、そしてエラスムスと同じように、ホルバインによって肖像画を描かれたうちの一人だった。
由緒ある系譜に連なるのではないこと、また1540年にヘンリーの不興をかい刑死したのちには、カトリックの信仰を貫こうとした「トマス・モアを死に追いやり、アン・ブーリンを利用して王室を混乱させたのちに用済みになると陥れた」悪役としてのイメージが上書きされる機会がなかったせいだろうか。
この物語のトマス・クロムウェルは不思議な男である。
小説は、「彼は……」「彼は……」という主語(文中で「彼」がつかわれるときそれはほぼクロムウェルのことをさす。)でトマスの見聞きした事実、トマスの心に浮かんだ考えによって進行する。この主人公トマスの中にもぐりこんだ三人称の視点によって、彼の周囲の人々はカメラで写すようにくっきりと描写されるのにもかかわらず、トマスのほうは曖昧模糊としたままだ。語らせようと思えば、彼にいくらでも自分を語らせることも認識させることもできるのに、ひとは自分については考えたり直観したりできないものらしい。代わりに、微に入り細をうがち描き出されるまわりの人々のうちに、トマスが見えてくる。あたかも彼ら彼女らの瞳に彼ら彼女らをみつめるトマスが映ってみえるように。
もっともはっきりとトマスと対になっている人物は、同じトマスという名をもつトマス・モア(1478~1535)ではないだろうか。シリーズ一作めの『ウルフ・ホール』は、たびたび引き返す道を示しながらもクロムウェルが主導し、モア自身もかまわずそこに突き進んでいったモアの斬首でひとまず終わるのである。
1529年に大法官、そしてクロムウェルの仕えるウルジーの敵として登場するモアは、『ユートピア』で英国の現状を生き生きと風刺した若き日の彼ではなく、家を継ぎ、再婚し、人生によって摩耗した天才に見える。一時は聖職を志したいまのモアは、トマスの目には、というよりトマスの目をとおした読者の目には、古い信仰にしがみつき、どこかマゾヒスティックでもありサディスティックでもある、苦行僧じみた奇怪な老人である。ロンドンの名家に生れたモアはクロムウェルの数歳年長であり、伯父の働く調理場で使い走りをしていたクロムウェルは、生きるか死ぬかの死線をくぐりぬけ、生き馬の目を抜く商業と法曹の世界に暮らした年月を経てなお、天才少年との邂逅をよく覚えている。
BBC制作のテレビドラマでは、トマス・クロムウェルをマークライランスが、トマス・モアをアントン・レッサーが演じている。がっしりとした、中年に入って少し肉がつき、「人殺しの顔」と身内にまで言われる原作の描写とは多少異なり、ライランスのクロムウェルは痩せ型で眉の太いもの静かな風貌で、しかし深い皺がこの弁護士を謎めいて、時にむしろモアよりも老けて見せている。対してアントン・レッサーのモアはかつての美男の面影を残した、ぼうぼう髪の、真っ白なうさぎを抱いた小さな老人である。この美しい小さな老人が、英訳聖書を読む異端の市民を探り出し、魂を救うため必要と考えれば拷問するのである。
ふたりは王の離婚、プロテスタントの信仰とカトリックの信仰、ローマからの独立をめぐって政治的な立場からだけでなく、心情的にも激しく対立する。いや、揺れ動いているのはクロムウェルの心だけで、モアははるか昔に完成されてしまったように、クロムウェルがいくら歯がみしようとも、冷たく揺るがない。
あなたは自分が知っているすべて、自分が学んだすべてが、前に信じていたことのままだと、どうして確信できるんです? おれの育った環境、信じていたはずのものは、すこしずつ欠け、破片は断片となり、断片はさらに大きくなるというのに。毎月毎月、この確実な世界から角がはがれ落ちていくんですよ。(『ウルフ・ホール』上巻71ページ)
しかし、クロムウェルとモアは同時に互いの似姿でもある。苦労を重ね才能に恵まれた弁護士の父親に対して、彼らの息子たちは善良だが才知に欠け、頼りない。彼らが望みをかけるのは優秀な娘たちである。クロムウェルは妻を亡くし、モアは妻を亡くして新しい妻を娶り、愛していない。
他の人物たちも、いわばトマスの網膜という鏡に移った彼でもある。
アン・ブーリンは常に足場に神経をとがらせなければならない成り上がりの彼である。
ヘンリ八世はかえりみられなかった子どもとしての彼である。
トマスとともにウルジー枢機卿の側近で、情勢が不利になるや王側につくスティーヴン・ガーディナーは、しかし常にトマスの一歩後ろに甘んじることになる。最大の敵であるトマスの過去を探り「君が知らないことを私は知っている」と囁くガーディナーは、王家の庶子と噂され、幼少時から不当な扱いを受けてきたという不満を燻ぶらせている。彼にとってトマスはその自分の境遇をつきつける一種の自画像であり、それゆえに彼はますますトマスを憎むのである。この作品においてモア、アン・ブーリンについでトマスと強い対比がなされているのはこのスティーヴン・ガーディナーではないかとたろうは考える(しかしこれはたろうがドラマでガーディナーを演じたマーク・ゲイティスのファンであるためかもしれない。)
このようにして、謎の男トマス・クロムウェルは、読者の前に次第次第に、ぼんやりと、おぼろげに姿を現してくる……。
(「ウルフ・ホール」については、全部書き終わるまで考えているときりがなさそうなので、とりあえずこれでUPして、順次書き足していこうと思います……。)
BBC制作ドラマ版の情報はこちら 。現在AXNミステリーのみでの独占放送ですが、2016年の年明けから何度か繰り返して放送されています。
http://mystery.co.jp/programs/wolf_hall