のちに一連のホームズ物語の記録者となる元陸軍医ジョン・H・ワトスンは第五ノーサンバランド・フュージリア連隊所属の軍医としてアフガン戦争に従軍し、負傷したうえ病に倒れ生死の境を彷徨った末、健康・精神ともにいちじるしく衰えさせて祖国大英帝国のポーツマスにたどり着く。この時の彼は、ほんの少し未来に会うことになる、あの変人と言えるほど個性的で興味ぶかい同居人、私立探偵シャーロック・ホームズのことなど少しも知らないし、そんな男のことなど想像してみたこともなかっただろう。ワトスンはこの時の自分についてこう綴る。
(前略)ポーツマス港の桟橋に上陸したとき、私は九か月間の静養休暇を祖国イギリスからあたえられていたものの、ひどい状態で、とうていもとの健康にもどりそうもなかった。イギリスには、友人も親類もいなかった。わたしは、空気のように自由だった――つまり、一日の支給額十一シリング六ペンスで生活するかぎり、自由の身だった。そんな状態だったわたしは、ふらふらとロンドンにひきよせられていった。イギリス帝国のあらゆる遊び人たちが、その日暮らしをしているあの巨大な糞尿だめに、ひきよせられていったのである。(1984年、偕成社『シャーロック=ホームズ全集1 緋色の研究』)
しばらくのあいだ自堕落なホテルずまいをしていたワトスンは、しかし生活を立て直そうと決意して下宿を探しはじめ、スタンフォード青年の紹介でシャーロック・ホームズに出会うのである。実は、これがたろうがホームズ物語の中でもっとも好きな箇所なのだが、こうして改めてみてみると、ワトスン博士とシャーロック・ホームズの物語はずいぶんと陰鬱な幕あきをしているのである。
そのせいだろうか、違うかもしれないが、映像化されたホームズものでこの場面が描かれることは意外少ないようである。たろうが知っている作品に限られるが、たとえば、
・ワーシリー・リヴァーノフのホームズのソ連版ホームズ(1979年)は、快活な友情と冒険の物語で、ワトスンが友人からホームズと引き合わせられるところからはじまる。
・ジェレミー・ブレットのホームズのグラナダ版(1984年)では、ホームズとワトスンは第一話の「ボヘミアの醜聞」から同居していて、ワトスンの帰郷は描かれない。
・ガイ・リッチー監督の映画版「シャーロック・ホームズ」(2009年)は、そもそもワトスンが結婚にともないホームズとの同居を解消して出ていこうとしているところからはじまる。
舞台を現代に移したBBC版(2010年)では、冒頭、ジョン・H・ワトスンはホテルの部屋でひとり戦場の悪夢にうなされている。彼は飛び起き、ふたたび寝入ることができないまま、夜は白々と明けていく。彼はカウンセリングに通うが、カウンセラーにすすめられてはじめたブログに書くべきことを見出せない。原典での、マイワンドからペシャワール、ポーツマス、ポーツマスからロンドン、そしてベーカーストリート221Bへの地理的彷徨は、「日々」の明け暮れという時間的彷徨、そしてなによりも本質である精神的彷徨に見事に置き換えられている。
しかし、そのものずばり、ワトスン博士がロンドンに降り立つところもぜひ見たいではないか。
新ロシア版(2013年)では、意気阻喪したジョン・H・ワトスン医師は血の気のない白っぽい顔をして、小柄な人間ほどもある大荷物を肩から提げて、駅の雑踏の中へ汽車から降りてくるのだ。
たろうが新ロシア版ホームズの第一話で圧倒されたのは、夜の酒場にうごめく人々ひとりひとりでした。彼らのいる闇は、ドクトル・ワトスンのいる個人的な闇、貧困と悪意と犯罪の蠢くロンドンの闇、そしてドクトル自身も戦争を通してつながっているところの大英帝国の闇であり、若き名探偵シャーロック・ホームズはそれに対して生きいきと輝く光なのです。
と、いうことで新ロシア版ホームズ「名探偵シャーロック・ホームズ」は5月26日(木)AXNミステリーで放送http://mystery.co.jp/programs/sherlock_russiaです!