偕成社の青いシャーロック・ホームズ全集の巻末には、作品解説とコナン・ドイルの年譜に加えて、ホームズ物語の周辺情報がまとめられれている。
第一巻の『緋色の研究』では「ホームズの人生を生きる人たち」として、訳者の各務三郎さんが、世界のホームズ愛読者や「シャーロキアン」について書いている。各務さんはシャーロキアン(これはアメリカや日本で一般的な呼び名で、イギリスでは「ホームジアン」と呼ぶことも多いらしい。)を「ホームズを愛し、より充実した人生を生きようとしている人たち」と表現し、日本を含めた各国のシャーロキアンの組織と著作を紹介する。
その中では「ホームズの蔵書目録をつくったり、ホームズ家の盾型紋章を作成したり、ホームズの家系について論じられたり」されており、他にワトスンの傷の位置について、はたまた「ワトスンは女だった」という考察もあるという…。
その頃のたろうは、その本を見つけ出して実際に読もうとは思いつかなかった。ただ、各務さんの文章を繰り返し読み、真ん中にこちらに横顔を見せて窓辺にたたずむホームズの絵を配した『シャーロック・ホウムズ読本』の書影を眺めていた。
あんなにもホームズ物語に夢中だったたろうだが、中学生になるころには、ミステリとしてはより複雑でより洗練された現代日本の作品に重心が移っていた。
それが、進学した高校の図書館に揃えられていたちくま文庫版のシャーロック・ホームズ全集(ちくま文庫「詳注版シャーロック・ホームズ全集」ベアリング・グールド解説・注、小池滋監訳)を手にとってみて、ひさしぶりに胸の奥でもぞもぞ動くものを感じたのだ。
クラフト・エヴィング商會による美しい表紙を開くと、本文に迫るいきおいでびっしりと注。ワトスンの文章の細部(天候、曜日、その他…)から各事件の日時を特定して、順番に並べてある。もぞもぞしているのは、どうやら小学生の頃からのシャーロキアン――「ホームズを愛し、より充実した人生を生きようとしている人たち」――への憧れらしかった。
近づいて棚から抜き出すと、表紙の真ん中でガウン姿の名探偵が横向きになってパイプをふかしている。間違いなくあの本だ。状態はあまりよくはない。カバーに折り皺、本体も擦り切れて、水に濡れたあともある。中身も黄ばんで、古い紙のにおいがする。でも紛れもなくあの本だ。薄茶色の帯が残っていて、そこにはこうある。
「シャーロック・ホームズは生きていた! シャーロック学の名著完訳」
欲しい。でもぼろぼろだ。これは適正価格なんだろうか。もっと状態のいいものがあるかも。本当に? 古本街の近くに住んでいて、今までにこの本を見かけたことがある?
たろうは財布から五百円玉を取り出して、レジの前に進んでいった。
家に帰り、手を洗ってから、机の前で目次を開いてみる。
シャーロック・ホウムズの蔵書禄 (ハウアド・コリンズ)
シャーロック・ホウムズの盾型紋章 (ベルデン・ウィッグルズワス)
シャーロック・ホウムズ氏の真正なる盾型紋章 (W・S・ホール)
ウォトスンは女であった (レクス・スタウト)
ウォトスンは女ではなかった (医学博士 ジュリアン・ウルフ)
…などなど。まさにあの青い本で紹介されていたシャーロキアンたちの文章の数々。
本文にとりかかる前に訳者の鈴木幸夫さんによるあとがきを読んでいると、こんな一文があった。
「はじめに、この本の読者に敬意を表します。文学、小説、とくに推理小説の面白さを知っている人、教養豊かな、知的魅力の享楽家つまり高雅なエピキュリアンであるからです。」
…大変だ。高校生のたろうは慄いた。この本を読むに相応しい人間にならなければならない。
…死ぬまでに間に合うかなあ?
たろうはとりあえず本棚の隅にホームズコーナーを作り、ぼろぼろの『シャーロック・ホームズ読本』と青い『緋色の研究』の二冊を安置した。そして心中密かに、いつの日か胸を張ってシャーロキアンと名乗れるように精進することを誓ったのであった。