2014年11月2日日曜日

たろうとホームズ小学生篇 青い『緋色の研究』

 
 
 
たろうの本棚に一冊の青い本がある。これはたろうにとって特別な本。

 偕成社の各務三郎訳『シャーロック=ホームズ全集1 緋色の研究』、奥付を見てみると1984年初版第1刷発行だ。もともとは紙のカバーを着けていたはずが、たろうの手元に来るまでにどこかで失くしてしまったようだ。むきだしの表紙には青地に黒でおそらく百年ほど昔の、ロンドンの河岸の景色が描かれている。

(この表紙の、シアンブルーに近い青が印象的すぎて、たろうは長い間、「緋色」というのはこんな色なんだと思い込んでいた。それが「スカーレット」のことだと知ったのはずっとあとのことだ。ばかだなあ! それでは、作中で探偵が無色のかせ糸の中に混じった緋色の一本をこの社会における犯罪に例えるくだりも、壁に血で書かれた「RACHE」の文字も、ちっとも題名と響き合わないのに!)

 
 この本で、元陸軍医ジョン=H=ワトスン医学博士は、シャーロック=ホームズと運命的に出会う。そしてたろうも同じように、シャーロック・ホームズに出会った。
 わたしは、空気のように自由だった。(中略)そんな状態だったわたしは、ふらふらとロンドンに ひきよせられていった。イギリス帝国のあらゆる遊び人たちが、その日暮らしをしているあの巨大な糞尿だめに、引きよせられていったのである。(上述『緋色の研究』8、9ページ)
こんな風に陰鬱に始まる物語は、たろうにまだよく知らない大人の世界の、あるいは人の内面の、薄暗いところを見せてくれた。そうしていつのまにかこの寒い、霧の中の「糞尿だめ」の街は、たしかにたろうの心象風景の一部にまでなってしまったようだ…。


 ほんとうに残念なことに、シャーロック・ホームズの物語で最初に読んだのがどの作品だったのか、実は思い出すことができない。この『緋色の研究』を読んでホームズ物語に興味を持ったのか、それともホームズ物語を読みはじめたところにこの本をもらったのか。でもどちらにしても、けっきょく同じことだ。この本をもらった時、たろうは小学一年生だった。小学生のたろうはホームズに夢中だった。

 小学校の図書室にホームズ物語は二種類あった。
 ひとつは、子ども向けに内容を省略・改変してリライトされた版型も字も大きなシリーズで、表紙のホームズは鹿撃ち帽をかぶり、曲がったパイプをくわえてチェックのインバネスコートを着ていた。たろうはまずこちらを読みはじめた。このシリーズで読んだもので覚えているのは『消えたカーファクス姫』。それから「アベイ荘園」の話もこちらではじめて読んだ気がする。(どうやらこれは岩崎書店発行のシリーズのよう。)
 もうひとつは、青い『緋色の研究』と同じシリーズ。本を読むのに慣れてきたたろうは次にこちらに手をつけた。文章は子どもにも読める易しい言葉で訳してあるが、挿絵は19世紀の末から20世紀のはじめにかけて雑誌に連載された時のものだ。黒いカバーには、本文中のイラストが明暗を反転して黄色で浮き出ていて、それが子ども心になんだか猟奇的、扇情的に感じられた。このシリーズで読んで印象的なのは「青い紅玉」、『バスカヴィル家の犬』、「唇のねじれた男」…。


   どちらのシリーズも、どうやら完全に揃っていたのではなかったようで、ホームズ物語の中でもそれから十年ほど経って初めて読んだ作品もあるし、ぼんやりとしか覚えていなかった作品もある。
 大きな屋敷の前の池に浮かぶ白鳥、銛で壁に串刺しにされた男の死体、食卓の上の冷たい肉料理…。そうした断片だけをよく覚えていて、今、慌てて読み返している。たろうは不真面目なホームズファンだ。

 だが、そんなことはたいした問題ではない。
 シャーロック・ホームズという名探偵の存在だけは、すでにたろうの中にしっかり根を下ろしてしまったから。『緋色の研究』のはじめに、彼がジョン・H・ワトスン博士の手をとってこう言った時に。
「アフガニスタンから、お帰りになりましたね。」(同15ページ)
  たとえのろのろよろよろとした歩みであっても、たろうのホームズ道がたぶん果てしなく続くことは、その時に決まったのだ。

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