2014年10月28日火曜日

豊島区立雑司が谷図書館かつてありき

 東京の新宿、豊島、北、荒川の四区にまたがって走る都電荒川線、その鬼子母神前停留所のすぐそば(京極夏彦の『姑獲鳥の夏』に出てくる鬼子母神堂や雑司が谷霊園は、ここから歩いてすぐのところにある。)に、千登世橋教育文化センターがある。
 この地下一階に、かつて雑司が谷図書館があった。

 大きな図書館ではなかった。専門的な資料は少なく、時間を持て余した大人たちや放課後の子どもたちがのんびり読書していることが多かった。
 たろうもその一人で、都電の停留所いくつかぶんの道のりを、線路ぞいをぽてぽて歩き、千登世橋の下をくぐって通っていた。文化センターの上の階の温水プールで、見知らぬ人に泳ぎを教えてもらった帰りに寄ることもあった。

 階段を降りて自動扉を入ると館内がすべて見渡せる規模だったことが、むしろ大きな図書館にはない魅力につながっていたと思う。たろうが児童書からYA(ヤングアダルト)、そして一般文芸へと自然に興味を広げて行けたのも、ひとつは雑司が谷図書館のおかげでありました。
 資料数は少なくても(たとえば京極夏彦作品だと、なぜか「百物語シリーズ」は揃っていたが、「百鬼夜行シリーズ」は一冊もなかった)、蔵書には味があった。

 小学生のたろうが夢中になったのは、まず、はやみねかおるの夢水清志郎事件ノートシリーズ、そのころ評判になりはじめていた上橋菜穂子の守り人シリーズ。小学校の図書館に一冊だけあった(なぜだ)夢枕獏の陰陽師シリーズもここには全て揃っていた。伊藤遊、岡田淳、高楼方子などの作品に出会ったのもこの図書館の児童書コーナーでだった。(それらの本についてもそのうち書きたいな。)
 ほんの少しだけの漫画コーナーも充実していて、石森正太郎の日本の歴史、『あさきゆめみし』、『ベルサイユのばら』、『つる姫じゃ~っ!』、『王家の紋章』など…。(つまり古かった。)日本の漫画史がなんとなくわかったのもこの漫画コーナーのおかげだった。
 そのあと、YAの棚に置かれていた梨木香歩を読み、長野まゆみを読み、宮部みゆきの時代物を読んだ。雑司が谷図書館が、たろうに本と一緒の幸せな小学生時代をくれたのだ。

 ちょうどYAの棚の真上には、ふくろうの模様のステンドグラスが輝いていた。

 中学校に上がって忙しくなり、少し遠くへ引っ越したこともあって、雑司が谷図書館まで歩いていくことは少なくなった。
 たろうが中学二年生の秋、雑司が谷図書館は閉館した。最後の日はちょうど運動会で、お別れをすることはできなかった。 
 その日から何年も、千登世橋付近には足が向かなかった。雑司が谷図書館が本当になくなってしまったということを、目にするのはいやだった。図書館の跡は新しくできる地下鉄副都心線の関連施設になるらしかった。

 去年、年も押し詰まったある早朝、どうしても眠れなくて一晩中寝床で輾転反側した挙句、もう眠ることをあきらめて、コートを着、マフラーを巻いて外へ出た。六時過ぎだった。
 何の目的もなく都電の線路脇を歩いていくと、そこは雑司が谷だった。
 千登世橋の下をくぐり、教育文化センターの前まで来て、初めて階段の下をのぞいた。誰もいない。冷たい風が枯れ葉を吹き飛ばしていく音だけがする。そこに図書館はなかった。

 おそるおそる階段を降りて、図書館の自動扉のあったところに立ってみた。ここは今は地下鉄雑司が谷駅への通路になっているのだった。

 歩いていくと、途中にがらんとしたスペースがあった。頭上にふくろうのステンドグラスが光っていた。

 あっちは雑誌の背の高い棚。ここはソファ。そしてこっちがYAの棚。だった。それがはっきりわかるくらい、そこだけが図書館のあった時のままだった。涙が出そうになって、くるりと踵をかえして地上に戻った。
 
太陽の光が大通りを照らしはじめて、会社勤めの男の人が足早にたろうの前を通り過ぎて行った。

 


 

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